EM2樺島&ガーニロッホ木下の軽音楽活動誕生トーク

山田:
さてさて前回予告していた文化活動団体の生みの親、O氏にご登場いただく前に、7月に開催するお疲れ人応援イベント[Light Music Live Power・・・軽音楽!身も心もリフレッシュ・・・]で、これから中心になって出演していただくことになるEM2ジャズオーケストラについて緊急トークでーす。
佐波:
なんで緊急トークなの!もう少し早くから計画性を持って企画しようよ。
山田:

ごめんごめん。市民グループと協力してちょっと大きなイベント
 http://yokohama-tsuzuki.sakura.ne.jp/candle-night/
手伝っていて、忙しかったからね。

佐波:

そうだったね。
キャンドルナイトは日本中で仲間が輪になった環境イベントだったけど、都筑区の市民グループもお互いの得意分野で協力し合って大成功だったね。

山田:
先輩グループとしてお役に立てるところもあったようで、嬉しいですね。
佐波:
事務局のI LOVEつづきさんは、今一番活発で、パワフルなまちづくりNPO団体ですね。みなさんエネルギッシュだし!
山田:
都筑区の10周年記念事業からの協力関係ですが、これからも協力できるといいですね。
佐波:
ところでEM2の活動も、歴史ある「旭ジャズまつり」に出演したり、福祉施設を慰問したりとなかなか活発ですね。
前身は、セブンスターズという7人のグループからとなっていますが・・・。
山田:

それは、ジャズだけを演奏するようになってからの名前で、誕生のきっかけとなったのは、1987年、荏田南小学校の学校開放を利用し、公募して生まれた「DreamingWoody倶楽部」というサークルだったのでーす。
デビューが3ヵ月後の「まちの音楽会」。演奏曲は、「朝日の当たる家」「聖者が街にやって来る」。会場の人たちと歌う「ドレミの歌」の伴奏もしました。



これがDreamingWoody倶楽部!
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佐波:
「まちの音楽会」はクラシックだけでなかったのだ。
山田:
軽音楽もやりたいと、まちの教室のメンバーで、学生時代ジャズ研に所属していた飯塚良子さんと仕掛けたの。


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佐波:
飯塚さんはその後ハードロックの主婦バンド・シャットダウンのギタリストとして活躍していたけど、今年ご病気でお亡くなり、みんな驚きと悲しみでショック状態でしたね。
山田:

若くして残念なことでしたが、彼女がこの素敵なグループ名を考えたの。
ジャズにロックにと活躍した彼女のことはまたの機会にお話します。

佐波:
改めてみんなでご冥福を祈ります。
山田:

この音楽会の後、ジャズの好きな人とロックの好きな人に別れ、それぞれセブンスターズ、CHIPS&BEERという名前で、マスコミにも多くく登場したの。
今、都筑区の軽音楽活動を引っ張っている都筑ジャズ協会と横浜ロックサークルは、こうして始まったのでーす。






佐波:
では、「DreamingWoody倶楽部」のジャズを代表して樺島さんに、ロックを代表して木下さんのお話を・・・・。



『とにかく趣味としてジャズを楽しもう!!』  EM2ジャズオーケストラ代表 樺島伸治

そうですね考えてみたらEM2ジャズオーケストラも20年が経ってしまいました。EM2ジャズオーケストラは、ただジャズをこよなく好きな者同士で『バンドやってみたいね〜』がきっかけで1988年にメンバー7名で『セブンスターズ』として発足致しました。
 当初は、学生時代に多少の経験はあるけど本格的にはジャズバンドとしての活動はほとんど無く、とくにバンドマスターである樺島は、全くの経験なしでただ、トランペットを吹いてみたいだけの単純なきっかけでした。
毎週の練習を荏田南小学校の開放ルームをお借りして続いています。メンバーも30名以上の大所帯となり、
『とにかく趣味としてジャズを楽しもう!!』をモットに、地域のイベント、夏祭り、老人ホームの訪問等で演奏活動を行う地域密着のスタイルのバンドとして、地域の皆様に応援して頂いています。
 最近は年1回の単独ライブを東京赤坂あたりで、食事とドリンクを皆さんで楽しみながら演奏をエンジョイしております。
 主な出演は、横浜博、地域主宰ダンスパーティ、横浜サマージャズ、荏田南夏祭り、荏田東夏祭り、北山田夏祭りあざみ野夏祭り、シニアハウスジャズコンサート、横浜ベストポケットコンサート、老人ホーム等多数ですがほんとに『継続は力なり』を実感しておりますこれも素晴らしいメンバーに恵まれているお陰ですね痛感いたします。これからも地域密着のポリシーを忘れずに頑張って行きたいと思っていますので今後共宜しくお願いいたします。



『ギター! / バンド! / 仕事(?)三昧の20年』  ガーニロッホ バンマス 木下 純

23年前に、山田さんの呼びかけにとりあえず楽器を持って駆けつけたひとり、木下でございます。
「まちの音楽会」ではギターを担当しましたが、当時の私はドラマーだった高校生時代以後、十数年のブランクのあとで、「朝日の当たる家」のイントロがギターで弾ける、というだけでリードギタリストになったのです。
ほかの曲はほとんどできず、ギタリストとしてシロウト同然という、勇気ある行動でした。
バンドは、その後の私の趣味を決定的にしましたが、このころの関係者は皆同じでしょう。
楽器は一人でも楽しめますが、アンサンブルとなると楽しみが数倍になるからです。

第一回「まちの音楽会」からしばらくして、樺島さんが Seven Stars を、町田さんが Chips & Beer のバンドのバンマスとしてそれぞれ Dreaming Woody 倶楽部から独立しました。
そして亡くなった飯塚さんが Shut Down というハードロックの主婦バンドに、私が ガーニーロッホ というロックバンドに分岐していったのです。
このへんのところは皆、プロミュージシャンみたいですね(笑)。
それからすでに20年が経ち、メンバーも移り変わりましたが、ずっとバンドを続けられたのはそれができる環境があったからです。
「人」は言うまでもなく、場所や出演の機会など、つまり港北ニュータウンの環境ですね。
ここで私はバンド活動をきっかけにして、ミュージカルや環境保護の活動にも環が拡がりました。

バンド活動のサークルを拡げようと初期のメンバーと始めた横浜ロックサークル(YRC)も、第二、第三の世代の活発な参加で自立した活動となりましたが、そうこうしているうちに私もギターの重さがこたえる年齢になってきました。
ともあれ全てのことに歳相応のスタンスはやむをえないことですが、この地域・環境で過ごせる幸運をこの先も享受してしまうつもりの、熟年(いや、初老だな・・・)のギタリスト 木下であります。




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