都筑クラブ山田会長と佐波事務局長のプレトーク

山田:
都筑クラブもやっとHPに力を入れられるようになりましたね。
佐波:
強力なサポータのお陰です。感謝、感謝です!
山田:
さて、このコーナーでは、都筑区の市民活動が活発で、楽しく且友好的に活動している様子を伝えられるといいなと思っているんですが・・・
佐波:
そうですね。都筑区の各方面で活躍した人、現在活躍している魅力な人物に登場して頂き、このコーナーを見た人が、明るく元気な気持ちになるといいですね。
山田:
今回は、都筑クラブの母体、「港北ニュータウンイベント倶楽部」そしてその母体の「まちの教室」それが始まるきっかけとなった話などから始めたいと思っています。



港北ニュータウンイベント倶楽部のメンバー

佐波:
その前に、「都筑クラブって何?」って聞かれること多いけど、上手く説明できないなー。
山田:
8月恒例の「星空のコンサート」を見てくださった人はきっとわかってくださると思うよ。無料なのにカンパ金を入れて、励ましてくださる人多いもの。
佐波:
そうだね。イベントに参加して笑顔になって、元気になって、優しい気持ちになって、そんな人がたくさんいる都筑のまちを好きになって、明るく前向きな生活を送っていただく応援団かな。
山田:
都筑クラブは、地域コミュニティーの核となっている連合自治会との協力も、活動の大きな目的よね。昨年から始まった「区民交流元気カーニバル」では、各地域を大いに自慢していただけるし。
佐波:
更に今年は 福祉をテーマに「軽音楽!身も心もリフレッシュ」をスタートすることができますね。
山田:
これは、都筑在住のプロミュージシャンの協力で、実現できるのよ。、既に夏の名物イベントとなっている「サマージャズ」の軽音楽版となるといいね。
佐波:
活動の母体となっている「港北ニュータウン、後の都筑イベント倶楽部」からは、「ヨコハマ都筑ミュージカル委員会」「サマージャズ実行委員会」「横浜ロックサークル」「都筑スタッフクラブ」「リラの会」などが生まれ、今では沢山の方々を巻き込んで活発に活動している魅力的な団体に成長していますね。
山田:
それぞれ活き活きとした活動で、まさしく横浜丘の手のオリジナル文化を発信していると思いまーす。
佐波:
「都筑イベントクラブ」ができるきっかけになったのが、「まちの教室」でしたね。


 
まちの教室のメンバー

山田:
1983年8月、港北ニュータウンに新しい街ができ、86年の1月、公団の呼びかけで、5つのグループの活動報告からなるシンポジウムが開かれたの。
佐波:
僕はその頃まだ大阪に住んでいたな。
山田:
そのシンポジウムの名前が「まちの教室」。その年の4月、公団の方から紹介された子供向けの劇団を呼ぶ事になり、その名前を頂いて「まちの教室」がスタートしたのです。
佐波:
これが、都筑の新しい文化のスタートだったんだ。
山田:
子供たちの為に、文化施設も何も無いところで、小学校の体育館を使っての本格的な劇団公演だったんだけれども翌年には、第2回目、そして秋には、自分達でまちの音楽会をプロデュース。
佐波:
「まちの教室」の主旨が、「新しい町の“いい仲間たち”をnetworkし、私たちのLifestyleに合った、魅力のあるまちをつくりだしていきたい」だったんですね。
山田:
そうですね。申し合わせが、「まちの中で輝ク」「“面白さ”をキーワードにまちをネットワークする」「“遊び半分で”運営する」「一生懸命な人歓迎します」「一生懸命でない人大歓迎します」とユニークでしょ!
佐波:
今の「都筑クラブ」とおんなじ精神だね。
山田:
次回は、この申し合わせを作った「市民活動の恩人」とも言える仕掛け人に、登場いただく予定です。更に、ここに登場した団体の方にも次々リレーをお願いする予定です。
佐波:
ここを見ると都筑の文化、市民活動通となるかも(^^;
山田:
ルンルン(^^;


佐波:
そういえば、先日のつづき人交流フェスタ(3月12日)のミニ講座でも話したんですが、僕が3年前に同窓会誌に寄稿した「まちづくりとボランティア」の原稿があったのでご参考までに。歴史と思いが少しわかっていただけるかなと思いま〜す。



ボランティア、地域活動の現場から

(これは、3年前、2003年3月に同窓会誌に寄稿した文章です)。

いきなりボランティアというテーマで雑文が始まります。 同窓会誌に果たしてふさわしいのかどうかわかりませんが、循環型社会と言われている中での生活拠点のあり方、また仕事とどんどん近くなっていく生活拠点のあり方をボランティアの視点から視ることも一つの情報かと思い、書き始めてみます。

■横浜から・・・「民の力ここにあり」
横浜に転勤で引越し16年になろうとしていますが、表題のボランティアが始まるのは引越し二日目からです。
今、横浜市は「民の力ここにあり」というテーマを掲げ市民・企業・行政の協働を模索しています。 昨年末にもこのテーマの下、市を数ブロックに分け、市民と市長とのシンポジウム“横浜シティフォーラム”が開催されています。 例えば私の住んでいる地域、横浜市都筑区ですが、いわく「横浜北部地域は市民活動大変盛んな地域です。地域活動や公益的市民活動などに、生きがいを持って市民自らが参画することが、このまちの活力源になっているのではないでしょうか。 これからの時代にふさわしい市民と行政の協働のあり方について、中田市長と語り合いましょう」とこのような会話が盛んになっています。
市長の基調講演は、「先ず情報をオープンにしよう、そこから協働が始まる。 その一歩として行政(市)の予算項目・情報もオープンにしだした。これからは市民からも自主的活動を含め情報をオープンにして欲しいし、その流れの中で民の力を発揮できる分野はどんどん協力を要請したいしまたその環境も作っていきたい・・」このような主旨です。

今横浜市の人口は350万人強。350万を突破したのは昨年11月ですが、ここ2年ほどは1年間にほぼ3万5000人の人口増です。 人口が多いことが喜ばしいことなのか賛否両論あるとは思いますが、一行政区としては大きすぎる市であることは確かです。
ですので、市を18行政区に分けて区単位の権限を強化していく流れですが、私の住んでいる都筑区はその中でも人口増加の激しい地区で、この原稿が出る4月には18万人を突破しているであろうと思います。

特に今の都筑区は、スタート時点から多くの人々を集積すべくその運命を与えられて生まれた地域でもあります。 もともと東京に勤める人々の住宅開発をすすめなければという命題の中で、東京オリンピックの翌年1965年に横浜市は理想都市を求めて港北ニュータウン計画を発表しています。 38年前のできごとです。 当時、炭焼き小屋がたくさんあったとも聞いている今の港北ニュータウンが、その都筑区です。 
都筑区が区として誕生したのが94年11月、区役所が完成し名実ともに行政として機能しだしたのが95年4月からですから、まだ8年。 計画が発表された年に生まれた人は今38歳。 このニュータウンに公団のマンション群ができはじめ新しく住民が転入してきだしたのは彼が18歳のころ、そして都筑区として区役所もでき地下鉄などの交通網や大規模ショッピングセンターなどの生活基盤が見える形になったのは彼がようやく30歳になったときなのですね。 まちづくりの長い循環です。

写真は自宅マンション前の鴨池公園です。
日の目をみた都筑区は都市環境・生活環境のミックスした快適なまちになっています。 グリーンネットワークといわれており緑道の整備を中心に徒歩で各エリアを結ぶ構想で、理想にちかいかどうか判断はありますが美しいまちづくりの一助を担っています。

■美しいまちの美しい人とは・・・
 さて、まちなみが整備されて美しい、これは都市計画のひとつの成果かもしれませんが、それから始まる活きたまちづくりこそがそのまちの性格づけをしていくことになります。
 ようやく本題のボランティアになってきました。
この雑文では、活きたまちづくりに向けた交流型ボランティアの現場を中心に展開していきますが、その前にこのコラムでぜひ紹介しておきたいことがあります。 

1995年1月17日に起こった阪神大震災。兵庫の先輩より聞いたボランティアの話です。 六甲アイランド最大の団地管理組合の地震対策委員会をまとめていく中でできあがっていくシンプルな組織と不自由を楽しもうという空気の中でどんどん生まれてくる工夫。 マンションの管理組合といういわば生活拠点でのボランティアがいてはじめて回りだした復興への歯車。 ボランティアとは難い表現をすれば自発的な意志により無償で社会的な活動を行う人や行為ですが、危機に陥った際のボランティアの厳しさは、自身も危機にある中での活動だということにつきます。 では自身優先で活動をすればいいのかというと、そのような人ばかりだと今度は全体の歯車が回りださないというジレンマに陥ります。 無償のボランティアとよくいいますが、現実のボランティアは無償以上に有償のマイナス分も引き受けた中での活動になることを理解していただきたいと思いますし、そのことを大震災のような中でリードしていった先輩がいたこともみなさん記憶しておくことは大切だと思います。 きっとそのような方々がたくさんおられ、今の神戸、そして今の日本ができあがっているのだという実感を私は強く持っています。

 美しい人は心が美しいのだといわれますがまさにその通りで、そこに有償無償という対価を超えたボランティアの価値があると確信しています。
 今の都筑区で行っているボランティアの原点もそこにあります。
当初移り住んできたまちに小学校がそのスタートになります。 港北ニュータウンの第一次入居がはじまった地域ですので、いわば新住民?が大半のまちに忽然と現れた最初の小学校です。 1983年9月開校の荏田南小学校。 今年は20周年を迎え、その記念事業の実行委員としても活動しているのはお礼の意味もありますし、またボランティアの真骨頂を若い世代の方々に伝えたいとも思い活動を続けています。
 さて、小学校ができたときに来られた人にとってのニュータウンは、大半が東京へ仕事にいくための住宅としての位置づけだったかと思います。 ですので土日以外は典型的な女性と子供のまち。 男性にとっては利便性と土日の緑の環境だけを評価したまちだったかも知れません。
そこにできたフラミンゴ色の荏田南小学校からこの雑文の主題が生まれていきます。

新しいまち、新しい住民ですから当然これまでの交流はありません。 もちろんニュータウン計画が始まる前から住まわれていた方もいますが、今の荏田南小学校でいうと8軒程度の農業を営まれていた方々です。 
小学校のある位置はその昔は山でしたから、8軒程度の方々といっても、広い地区に分散していた8軒です。 ニュータウンの歴史はそのような方々(広域ですからもっと地権者がいます)が、横浜市や開発主体でもある住宅都市整備公団(当時)から図面を見せられ、いきなり「この山が将来住宅になる、だから土地を供出していただきたい」と当時は雲をつかむような話に協力したことで生まれたことを我々は感謝する必要があります。 
そんな過程で成立したまちですから、当初は交流どころかみなさん顔もわからないという状態がスタートラインです。


■住民が立ち上げた連合自治会の母体・・・
 新しいまちでは、大半を占める新しい人が力や汗を流さないとまちづくりはできません。
もちろんその地域に根ざしていた人々や文化や歴史も大切にしながら。(都筑区という名前は、奈良時代から昭和10年代まで地名としてあった都筑郡がその由来でもあります)
 
 さて入居が始まった頃、新住民同士もどういう風に交流していいのか手探りの状態だったようです。 ただ、子供を中心にお母さん方は小学校という場面で交流があった、これが大きなきっかけになりました。 小学校のPTAもシンプルに誰でもできるような簡素化をテーマに発足しています。 そんな中で、地域の交流を図ることが必要だという声が出て、最初の催しとして始まったのが夏祭りです。 小学校が9月開校ですので、翌年初めて迎えた夏休みに第一回夏祭りを行い(1984年)、今や、荏田南小学校で毎年8月に開かれる夏祭りは18回を数え、1万人以上の地域の方々でにぎわう最大の行事にまで大きくなっています。
この夏祭りも小学校のPTAから声が出たのがきっかけです。 委員を募るなどして開催してみると盛り上がり、そのときに関わった各町内の住民が集まり、荏田南の小学校区で地域連絡会を作ろうと言うことになりました。
現在の連合自治会の母体ですが、行政発ではなく、小学校区の地域住民がまとまって連合自治会の母体を作ったことが特徴あるまちづくりにつながった背景にあります。
住民の意思で連合自治会を立ち上げようとしたのは全国でも珍しいと思います。

 この地域連絡会で大きなインパクトがあったのが1986年春です。 子供向けの劇団を小学校に呼ばないかという話が住宅都市整備公団からあり、地域の子供たちに本当の劇団・文化体験をさせてあげたいとの共通の思いから地域全体に呼びかけ、活動スタッフを広く募集しました。 ここに集まった人達で港北ニュータウン最初の文化ボランティアグループ「まちの教室」が立ち上がりました。
このような活動の中で、地域には素晴らしいプロもいることが見えてきました。 クラシック音楽のプロ、劇団のプロ、絵画のプロ、もとバンドマンなどなど。 もちろん裏方大工仕事大好き人間もたくさんいます。 普段はお母さんと子供のまちも、休日にはお父さん方と汗を一緒に出す活動が始まりました。
 1988年には地域でミュージカルを!という思いのもと、サウンドオブミュージックが完成。 オーディションから半年間の練習、音楽、舞台全て手づくり、これが大きな自信とパワーにつながり、行政からも様々な場面で地域住民代表として提言する機会が与えられてきました。
この「まちの教室」が発展しつづけ、現在の「都筑クラブ」につながっています。

◇ 1983年 9月 荏田南小学校開設
 (新住民がどんどん移転してくる)
◇ 1984年 8月 第一回夏祭り開催
◇ 1986年 まちの教室発足
◇ 1991年 港北ニュータウンイベント
      倶楽部に改名
◇ 1996年 都筑イベント倶楽部に改名
◇ 1998年 都筑クラブに発展 

1994年11月、港北区と緑区の行政区再編成により都筑区が誕生していますが、その前後で「まちの教室」が改名しているのも行政から区全体を感じるほうがいいとのアドバイスがあったからです。

参考までに93年1年間に行った活動を列挙してみます。

◇ 3月 市営地下鉄開通記念事業に参加・運営
◇ 5月 スプリングロックカーニバルfor CHATITY 93 主催
◇ 8月 港北ニュータウンSummer Jazz 93主催
◇ 9月 いた人・きた人シンポジウム主催
◇ 10月 第9回 港北ニュータウンまつり・ステージ運営
◇ 11月 よこはま市民まちづくりフォーラム・分科会活動報告、活動展示、
          野外ステージ企画運営、模擬店参加
◇ 12月 高齢化社会対策区啓発事業「いきいきシルバーライフ」参加、運営協力
◇ 1月 都筑区名決定記念事業「FRESH都筑カーニバル」ステージ企画運営・模擬店
     
特によこはま市民まちづくりフォーラムでは、文化交流ボランティアの中心になり提言活動を推進しています。 この年は、私自身マンションの自治会長も受け、ボランティア二役以上が続く基点となった年でもあります。

■ふるさとづくり、そして都筑クラブへ・・・
大人にとってはニュータウンですが子供たちにとってはここがふるさとになる、だから私たちの手でふるさと文化をつくりあげていきたい、これが一貫して持ち続けた理念で、キャッチコピーは以下のようなものでした。
「私たちは文化活動を通じてのまちづくりボランティアグループです」
「愛する都筑区を中心としてボランティア精神にのった文化活動を企画立案するとともに、活動を支援し、また自ら主催することにより、よこはま丘の手文化を創造し、この地域を私たちの豊かで素晴らしいふるさととする為の活動を続けていきます」 

また活動内容が多角化するにともない、企業でいうところの分社化を行い、ミュージカル、ジャズ、ロックサークルなど、今は協会や独立団体に発展しています。
そして、都筑クラブとして現在があります。

都筑クラブは、「市民+企業団体+行政」の三位一体で文化のあるまちづくりを目指すボランティア組織として位置づけしています。
ですので、好きなことを好きな人達とで行うボランティアから一歩進みでて、これまで培ったノウハウや組織力を、区のさまざまな場面で有効利用していただく、そして同時に、行政や各種団体にも市民ボランティアとしての声を前向きに伝えていく役割も強く意識しています(決して圧力団体ではありませんが)。

上の写真は昨年の区民祭りの風景です。
毎年11月3日に行われる区民まつり、センター南とセンター北の二つの地下鉄駅(地上駅です)を結び、来場者16万人と横浜市でもダントツに多くの方が参加する区民祭りですが、ここでも毎年、企画運営に参加しています。 今年11月の区民まつりの企画準備も9ケ月前の2月にスタート、今後はより多くの市民ボランティアの力を呼びかけようと話し合っています。

■市民活動と行政の協働・・・
 このように都筑クラブは区の様々な活動に支援することを掲げていますので、結果的に公的委員を9つも受けることになっています。
区民まつり・実行委員、都筑区まちづくりプラン策定委員会・委員、都筑ふるさとづくり委員会・委員、区民利用施設協会・理事、区国際交流委員会・委員、都筑民家園愛護会・委員、大塚歳勝土遺跡公園愛護会・委員、市営地下鉄・ほのぼの駅コンなどです。 
自治会や行政にかかわる地域の諸団体を“地域コミュニティ”と呼ぶのに対し、我々のように例えば文化交流や福祉、環境などのボランティアを“テーマコミュニティ”と呼ぶ言い方もありますが、私や都筑クラブはちょうどその接点を模索しながら実践していると位置づけられています。 特に、まちづくりを支援することを目的におくと、どうしても自治会組織や行政との協働も必要ですし、地域の企業や団体との協働も入ってきます。

また様々な活動には、最低限の経費・資金も必要になってきます。
催し毎に例えば入場料でまかなう方法をとることが基本ですが、企業や行政からの支援金なども大きな財源になります。 活動を繰り返し市民からも認知されることで、企業や行政との資金面での協働も可能になってきます。

よく市民活動と行政が対立構図の中で扱われることがありますが、本来市民生活のための行政なのであって、その意味では市民活動と行政は協働であるべきだと思っています。
この協働の中で喧々諤々議論することが大切なのかなと。
 
 まさに都筑クラブの母体は、冒頭でも書きましたようにニュータウンに何か文化を残そうという地元小学校を中心とした人々の集まりでしたので、そのことが自治会や連合自治会のような地域コミュニティとも何ら障害なく連動してきた要因だと思っています。 また17年も継続した要因でもあります。
よく例に出すのですが、私自身は大阪の岸和田出身で、よく岸和田祭りのことを話題に出されます。 確かに威勢のいいお祭りですが、あのか“だんじり(山車)”は町内会単位で所有していますので、お祭りを中心に町が一つにまとまっていきます。 子供たちも大人もお年よりも○○町のハッピでみんな一つになるのですね。 何か悪いことをしようものなら先輩や長老からこっぴどく叱られますし、でもそこに至る連携や苦労を町内会みんなで分け合うからこそ、まちに誇りを持ち愛着が生まれる善循環につながっています。 もう300年続いているお祭りですが、考えてみればきっと300年前に「このまちもだんだん大きくなってきたなあ、何か一つお祝い事でもいいからまち全体で交流できるようなことをしようよ。」「じゃあ僕は宮大工だから彫り物できるよ、僕は大縄を結えるよ、僕は・・」というように、誰かが今でいう企画を行い、始まったはずです。 ですので、自分の子供たちの世代に繋がるようなバトンを渡していくことは可能でしょうから、20年後、30年後をイメージして考え活動していくことが非常に重要な点だと思います。

■星空のコンサート・・・
 さて、都筑クラブに発展したのが1998年。 “イキイキ、まちの応援隊!”がキャッチコピー、また理念は“都筑クラブは、一人ひとりが輝き、まわりに生命を吹き込んでいく街づくりを目指します!”とうたっています。 将来の子供たちにとってふるさとになる都筑区のために何が残せるかを考えた中で、やはりイキイキした感動を残し続けていきたいというのが一つの結論でした。
ですので、文化的な催しをどんどん立ち上げるのではなく、地域や行政、また同じような考えを持ったボランティア活動団体の催しを支援(企画支援・運営支援)することを積極的に行い、我々の理念が参加してくれた市民のみなさんにも伝わっていくような工夫をしていく。 そして自主活動(主催者として全て行う活動)については絞り込んで集中していく。

この結果生まれ、今年もこれからも続けていこうと考えているのが、星空のコンサートという企画です。

 センター南駅にある公園「すきっぷ広場」。ここは一見公園とは見えません、まるで階段状の席がある野外劇場です。 駅とショッピングセンターの間ですし、都筑区民は全員がこの広場を知っています。 お昼どきなどは家族でお弁当を広げていますし、区民の憩いの場でもあります。
 そんな広場で、素敵なコンサートを行いたい。それも夜、クラシックを・・・という思いで、夏休み最後の土曜日の夜、ここに焦点をあて、子供たちや地域の方々に無料でクラシック音楽の空間を体験していただいています。 今年で5回目を迎える「星空のコンサート」略して“星コン”は多くの区民の方々に親しまれてきました。

これまでの長いボランティアの中で、ジャズやミュージカルやロックサークルなどを立ち上げてきましたが(今は全て独自の活動として大きく成長しています)、夜の野外空間で展開する星コンはまた新しい感動を与えてくれました。
アンケートも取っていますが、毎年夏休み最後の土曜の夜はここにくるという楽しみにしておられる方、家に帰ろうとして音に惹かれて聞かれた方など、子供たちからお年寄りまで、貴重なご意見をいただいています。
主旨を説明した上で置いている募金箱にも協力してくれる方々もたくさんいます。

 開放されたスペースの効果、都筑区の中でも最も歩行者が多い動線、夜のライトアップ、そして都筑区周辺にたくさん在住していらっしゃる音楽家の協力、多くの人の協力がそこにはあります。 今年も成功に導くべく、既に1月からキックオフミーティングをスタートしています。 夏休み最後の土曜の夜まで半年以上になるボランティアスタッフの活動が既に始まりました。 春は特に多くの方々から暖かい支援金を集めるべく資金集めに東奔西走しそうですが、今年も成功裏に終わって欲しいものです。


 継続してはじめて文化になっていくと思いますが、その理念に向けての考えや汗を同じくする人と如何に出会うか、また出会う仕組みを作るか。 これからのボランティア活動には多くの期待と課題が押し寄せてきますが、じっくりゆっくり貧すれど心は豊かに活動していけばきっとその理念は実現するのではないかと確信しています。




佐波:
3年前に書いたものですが、今も思いは変わっていないなと、それがボランティアを永〜く続けていく原点なのかなと・・・そんな風に思ってます。




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